天野です。本日のアウトプットです。
このブログは、僕が20年間苦しんだ腰痛(第五腰椎分離すべり症)から解放された経験をもとに書いています。
さて、今回は、ぎっくり腰になったときの心の対処法についてです。
まず、結論から言うと、「あきらめる」ことです。それこそが、ぎっくり腰になったときの一番、正しい心の持ち方だと僕は思っています。
僕が苦しんだ腰痛は、「第五腰椎分離すべり症」です。これは、痛みの種類としては、「常に痛い」です。なので、腰痛に苦しんでいたときは、僕は「腰が痛い」ということに関して、心の準備はいつでもできていました。
まあ、「常に痛い」わけですから、正直、嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、かえってそれが心にとってはいい作用をもたらしていたと思います。
ぎっくり腰になる人は、心の準備ができていない
僕が苦しんだ「第五腰椎分離すべり症」は、背骨が折れて、しかもズレているというものです。それに対して、一般に「ぎっくり腰」で苦しむ人は、レントゲンで見れば骨に異常がないことが多いです。
いわゆる、「原因のわからない腰痛(非特異性腰痛)」ですね。
つまり、レントゲンでも異常はないし、普段も別に痛くないし、ということで、いざ、ぎっくり腰になったときには「心の準備」ができていない分、苦しむ人が多いのです。
僕は、ぎっくり腰に対して常に心の準備ができていた。
一方、僕は「常に痛い」という状況でしたから、ぎっくり腰への心の準備もできていました。僕がぎっくり腰になるときは、「普段の痛みの10倍くらい」の痛みが襲ってくる感覚でした。
普段は、いくら腰痛とはいえ、なんとか動けるレベルです。でも、ぎっくり腰になったときは、動くのはとても不可能です。
でも、心の準備ができているので、「また、ぎっくり腰が襲ってきやがった。でもまあ、痛みが引くのを気楽に待つか」
と思えることができました。
ただ、このブログの最初の方で書いた「人生最大の痛みが襲ってきたとき」は、さすがに参りましたが・・・
それでも、「普通レベルのぎっくり腰」なら、なんとかやり過ごすことができていました。
ポイントは、「あきらめ」
最近は、ぎっくり腰はありません。たまに、腰が重く感じて動かしにくいという状態になることはありますが、ぎっくり腰というレベルではありません。
しかし、かつて僕は何度もぎっくり腰に苦しんだ経験があるので、今も心の準備はできています。
で、その「心の準備」とはいったい何か、ということを自分なりに分析すると、まさに、「あきらめ」ということになります。
人間は、あきらめることで、次の新しい展開がうまれてくる。
これはどういうことか、というと・・・
人間というものは、ひとつのことにこだわっている限り、なかなかそこから成長していかないものです。
なので、その「こだわり」を捨ててしまって、いっそのこと「起きてしまったことだから、もうあきらめよう」と観念した方が、かえって次の展開に進みやすいということなのです。
これは、よく株やFXの世界でも言われていることですよね?いわゆる、「損切り」です。
投資の世界では、いかに思い切って「損切り」できるかが勝者になるかどうかの分かれ道といわれています。
ぎっくり腰も、全く同じことなのです。ぎっくり腰になってしまった境遇を嘆き、いろんな整体や病院、本にすがって「あたふた」とするよりは、「痛みが引くまで待とう」と決めてかかってしまった方がいいのです。
その方が、痛いながらも、仕事や家事に専念できます。もちろん、痛いわけですから、いつもよりもパフォーマンスは落ちます。
でも、変に痛みと戦うようなマインドでいるよりは、「この痛みと何日間か一緒に過ごそう」と、まるでかわいいペットを自分の体の中に飼うかのごとくに、痛みを迎え入れた方が、かえって「痛み」の方が、自分にやさしくしてくれるものです。
そもそも、「ぎっくり腰」は急性腰痛である
考えてもみてください。「ぎっくり腰」なんてものは、しょせんは急性腰痛です。原因はさまざまです。筋肉の急激な緊張であったり、炎症であったり、骨の一時的な構造の異常だったり・・・
そういう、「急性」のものは何ら、おそれることはありません。人間には、「ホメオスタシス(恒常性維持機能)」がありますから、時間がたてば、必ずもとに戻るのです。
なので、ぎっくり腰になったときは、「あたふた」せずに諦めて、時間が解決する、というぐらいに気楽に構えるのがベストですよ。
今回の記事が、あなたの参考になれば幸いです。以上、天野からのあなたへのアウトプットでした。