小学5年生のとき、初めて腰に痛みが走る
僕が初めて腰の痛みを感じたのは小学校5年生(1986年)のころです。スポーツが大好きな僕は、当時、少年野球チームに所属していました。
で、その少年野球チームの朝練習のときに、突然、腰に痛みが走ったのです。キャッチボールはなんとかできましたが、ノックは無理でした。腰が曲がらないので、ゴロを捕球できないのです。
心配したチームメートが、「大丈夫?どこか痛そうだけど」と僕に声をかけました。
今思えば、全ての失敗はこのときの僕の返事からはじまっていました。
僕は、
「大丈夫、大丈夫」
と言ってしまったのです。
本当は、かなり痛かったのです。
なぜ、まわりに腰痛を訴えなかったのか
腰痛を発症したとき、僕はまわりにそのことを言いませんでした。それにはいろんな理由があります。
まず、僕はチームの中心選手でした。4番バッターに抜擢されたばかりで、チームメート、監督から活躍を期待されていました。
なので、それにこたえなければならない、という思いがあったからです。
それと、「腰が痛い」ということは、何かジジくさいイメージがあり、恥ずかしくて言えなかったという理由もあります。
そのふたつの理由から、僕は腰痛を訴えることなく我慢したのです(大後悔!)。
痛みが引いたからと、病院に行かなかった
僕の腰の痛みは、3日間ほど続きましたが、その後はなくなりました。
なので、僕は病院にもいかずに、そのまま放っておきました(これも大後悔!)。
まさか、後に腰の痛みが再発し、約20年間、苦しめられることになるとは、思いもしませんでした。
やはりあのとき、病院に行っていればよかった・・・。本当にそう思います。
中学1年生で、腰痛が再発。「第5腰椎分離すべり症」の診断
病院に行かなかったこと。それが、本当に大失態だったことを僕は思い知らされることとなります。
というのも・・・
・・・僕はこの2年後、中学1年生のころにもう一度腰痛を発症したのです。このときの痛みは小学校5年生のときよりひどいものでした。なので、さすがに「これはまずい」と思い、整形外科に行きました。
そこで、レントゲンを撮ってもらいました。
その結果は、
「第5腰椎分離すべり症」
でした。つまり、僕の背骨は、
- 分離していて
- ずれていた
のです。
だからこそ僕は放っておいたことを後悔したのです。
整形外科の先生に言われたこと
そのとき、整形外科の先生は、下記のように言いました。
「おそらく、骨折したのは、今日ではなくもっと前でしょう。で、放っておいたからずれたのだと思います。こうなってしまっては、一生、骨はつながりませんよ。」
この説明を受けたとき、僕はまさに小学校5年生のときに、「数日間だけ腰が痛い日」があったことを思い出したのです。
「まさにあの朝練習のとき、僕の背骨は折れていたんだ・・・」と。
骨折というものは、すぐに対処すれば骨がつながるものです。しかし、長期間経ってしまうと骨が折れた状態で安定してしまうのです。つまり、骨がつながることは非常に難しくなってくるのです。
腰痛は、「急性腰痛」のうちに対処するのが一番いい。
僕のようなケースで慢性腰痛になる人はとても多いです。たとえば以下のようなケースです。
- 「ちょっと腰に痛みが走った。でも、しばらくすると痛みがなくなった。だから、病院に行かなかった。」
なぜ上記のように、
「しばらくすると痛みがなくなること」
があるのでしょうか?その理由は、
「人間の体はよくできているから」
です。つまり、背骨が折れたとしても、「腰まわりの筋肉ががっちりと体をささえてくれるから」です。
なので、背骨が折れているのに、筋肉の支えによって腰痛が起こらず、一生、背骨が折れていることに気づかないままの人も非常に多くいるのです。
でも・・・
たしかに、腰まわりの筋肉がしっかりと支えてくれるならいいのですが、その筋肉もうまく体を支えてくれないことがあります。僕のように慢性腰痛をかかえてしまうケースです。
なので、いくら「腰まわりの筋肉が支えてくれる」とはいっても、結局は、急性のうちに対処するのが一番いいのです。
たとえば僕のケースでは、小学校5年生で腰痛を感じたとき、すぐに整形外科に行けばよかったのです。急性のうちにギプスすれば骨は元通りになったはずですから。だからこそ、僕はつくづく思うのです。以下のように…↓
「腰痛は、急性のうちに対処するべき。慢性化させてはならない」
と。
今、このブログを読んでいるあなたに、まず僕はこのことを心の底から主張したいです。もし、あなたが今、発症して間もないなら、今すぐ対策をしてください。明日でもダメです。今日の仕事が終わってからでもダメです。
「今すぐ」
です。まずは専門家に診断してもらうことが大切です。
また、お知り合いで「ちょっと腰に異変を感じた」という方がいらっしゃいましたら、すぐに病院に行くようにすすめてください。
この「腰痛は、急性のうちに対処するのが一番」という考えは大事です。常識の知識として、十分に浸透させなければならないことだと思っています。
腰が痛いにも関わらず、友達とふざけて悪化させてしまった
さて・・・
話を戻します。僕の腰痛経歴ですね。
このときの腰痛、つまり、「中学1年生(1988年)のときの腰痛」は、ひどいものでした。
話を、当日、病院に行く前までさかのぼってみます。
その日、朝起きると、腰が曲がりませんでした。過去に経験した「小学5年生のときの腰痛」は、曲がらないのではなく、痛いだけでしたが、このときは痛いのと曲がらないのとでダブルパンチでした。
しかも、これもさらにまずいことなのですが・・・
とりあえずその日、学校には行きました。そこで、クラスメートに、腰が痛くて曲がらないことをネタにして、遊んでしまったのです。
というのも、ちょうどその日の数日前に、お笑いの番組で、芸人がいじられて痛みに耐えていく、というような内容のものをやっていたのです。
それが、僕やクラスメートにとてもウケてて話題にして盛り上がっていた時期でした。そんなときに、僕が腰痛を発症したものですから、それをネタに使って遊ぶことにしたというわけです(大後悔!)。
遊びの内容は、「僕の腰を揺らしてみたり、蹴ってみたりする」というものでした。
最初は、軽く蹴る程度でした。
でも、僕も強がって、「まだ全然大丈夫!」という風に余裕を装っていたので、みんなもそれを本気にして、強めに蹴り始めたのです。
本当は、かなり痛かったのです。でも、カッコつけたかった・・・
余計な遊びをしたものだ、と思います。悪化させたことは確かですから。
で、僕はその日の夕方、病院に行ったのです。そして、最初にも書きましたとおり、「第5腰椎分離すべり症」と診断されたというわけです。
もちろん、芸人のような遊びをする前からすでに「第5腰椎分離すべり症」ではあったしょう。でも、悪化させたことは事実です。その遊びの後、痛みが増しましたから。
帰り道、だんだん暗くなって行く風景を見ながら、心の中も暗くなっていったのをよく覚えています。
「一生、治らない」と言われたときの僕の心境
一生、腰痛と付き合っていかなければならないことを、僕は整形外科の先生に告げられたわけですが・・・
その当時、僕の心の中を占めていたのは、以下のような思いです。
- 小学校5年生の時点で腰に痛みを感じたとき、病院に行かなかったことへの「後悔」
- 友達と、芸人風の忍耐ゲームをやって悪化させたことへの「後悔」
- まだ中学生なのに、一生、腰痛と付き合わなければならないという、未来への「悲観」
特に、未来への「悲観」は、ものすごいものがありました。
なぜって、やっぱり理不尽だと思ったんです。おかしい、と。こんな不運があるのか、と。「大人になってから腰痛を発症」するのならまだしも、当時、僕は中学一年生です。
「まだ中学生なのにぃ(泣)」
「スポーツがすげー好きなのにぃ(泣)」
と、こんな言葉を独り言でよくつぶやいていました。
僕には、本格的に野球を続けて「甲子園に行く」という夢がありました。それだけでなく、格闘技も好きだったので、いつか「本気モードの空手道場」に通いたい、という夢もありました。
でも・・・
少なくとも・・・
僕の人生からその可能性は消え去ったのです。