スポーツを中心に将来を考えていたのに、運動ができないとは・・・
スポーツ中心の将来を考えていたが…
「腰痛が一生治らない」と整形外科の先生に言われたこと。
それは、僕にとってとてもショッキングなことでした。というのも、中学一年生の時点での僕の将来設計は、スポーツを中心に考えていたからです。
高校では野球に没頭する「高校球児」としての青春をすごし、大学では格闘技を本格的に始めてアマチュアの試合で活躍しよう、と夢を描いていました。
体格的にも可能だと思っていましたし、事実、小学生のとき、僕は五年生にして少年野球チームの4番打者であり、中心選手(副キャプテン)でした。
しかし・・・
整形外科の先生は、「中学3年間は、スポーツ禁止」と僕に告げました。中学三年間、何もしなかったら、少なくとも高校での野球は無理です。
なので、「スポーツを中心として青春時代をすごす」という夢を、諦めるしかありませんでした。
小学生のときはあらゆるスポーツを楽しんでいたのに…
僕は、いわゆる「勉強よりも、スポーツが得意な子」というキャラでした。その適正もあったと思いますし、それより何より、スポーツが好きでした。
小学生のときは、野球だけでなく、ときどき、サッカーチームの練習にも参加させてもらったほどです。
というのも、小学生当時、キャプテン翼が流行っていたのです。なので、本格的なサッカーを体験したいと願っていました。スポーツは、野球以外でも好きだったのです。
ですから、サッカーも、「練習を手伝う」という名目で、地域のチームに遊びに行ってました。
さらに、少林寺拳法の道場にも行っていました。これも、正式な道場生になったわけではありませんでしたが、友達が道場生でしたので、練習の手伝いに行っていました。
僕が格闘技に興味をもったのはこのときです。僕は後に柔道(遊び半分ですが)をはじめることとなるのですが、それは、小学生のときの少林寺拳法の体験がかなり影響しています。
このように、スポーツが大好きな僕にとって、腰痛はショックだったのです。
明るい性格だったのが、暗くなってしまった
「スポーツ中心の将来」を奪われて、僕はどこに向かって努力して生きていけばいいのかわからなくなりました。そして、性格が暗くなっていきました。中学2年生のときは、いじめられっこになったほどです。
小学生のときは、野球チームの中心選手で、いろいろなスポーツに挑戦する、明るい性格だったのに・・・
それが、中学1年生の当時の、「第5腰椎分離すべり症」の診断と、医師からの「スポーツ禁止」の言葉のために、「クラスで一番、暗い奴」なってしまったのです。
せめて、病院の先生が励ましてくれればよかったのですが、そういうこともありませんでした。そしてなんといっても、腰の痛みと共に生活しなければならない状況は、やはり性格に確実に影響を与えました。
僕が通っていた整形外科は、いい病院ではなかった
ちなみに、僕に「第5腰椎分離すべり症」の診断をした病院は、あまりいい病院ではありませんでした。これは、今思い返せばよくわかります。
たしかに、整形外科なので腰痛の症状でその病院に行くことは自然なことです。でも、整形外科といってもいろいろあります。
中には、腰痛があまり得意ではない病院もあるのです。僕が中学~高校と通い続けたその病院は、まさに「腰痛治療が不得意な病院」でした。
近所の病院というだけで、僕はそこに通っていたのです。もっと、他の病院にも行くべきでした。
しかし・・・
90年代初頭は、「セカンドオピニオン」が一般的ではなかった
当時は「セカンドオピニオン」が一般的ではありませんでした。
さらに悪いことに、僕の両親は古い考えを持った人でしたので、「お医者さんが言うことだから信じなさい」と言うだけで他の病院に行くことをとても嫌悪していたほどでした。
この整形外科に何回も通っているのに、全然、治らない。治らないどころか、毎回、言われることは同じです。
「スポーツはダメですよ、決められた腹筋と背筋だけをしなさい。毎日、コルセットをつけなさい」
これを言うだけです。
手術もしてくれないし、施術や電気治療などを行ってくれるわけでもありません。
それなのに、両親は「病院を変えるのは失礼だ」と言って他の病院に行かせてくれなかったのです。
高校進学を機会に、少し体を動かしはじめた
そんな調子で、僕は高校に進学しました。
このとき僕は考えました。
「高校でも、帰宅部ですごすつもりか?」
「スポーツを楽しみたい。青春を楽しみたい。そうじゃないのか?」
と。
僕はいろいろ迷いました。その結果、病院の言うことは無視して、高校では部活に入ることに決めました。
一番やりたかったのは野球でしたが、中学時代にブランクを作ってしまったので、もう一つの好きなスポーツであった格闘技をすることにしました。
僕の高校には、格闘技ということでいえば柔道部がありました。
ちょうどいいことに、僕の高校の柔道部は「厳しくない、同好会的なノリ」でした。練習の時間は腰の痛みに応じて自由に調節できるとのことでしたした(完全に、遊び半分の部ですね笑)。
腰痛持ちの僕にはちょうどいいし、格闘技をしたいという欲求も満たせそうですし、とても好条件だと思いました。で、柔道部に入り、しばらく練習の日々を送りました。
すると・・・
柔道を始めたとたん、腰痛が少しやわらいだ
不思議なことに、柔道を始めたとたん、痛みが少し減りました。
もちろん、それでも「痛い」ことに変わりはありません。しかし、休憩しながらだと、予想以上に動けたのです。これは驚きでした。
後に、僕は30代で腰痛治療に集中して取り組むことになるのですが、この経験は大きく生きました。つまり、腰をただ安静にして腹筋と背筋だけやればいいというものではないのです。
「もっと、体全体を使って、躍動していくこと」
これが、痛みへの恐怖心をやわらげ、体の柔軟性も向上させます。結果的に、痛みが減っていくのです。
あまり体を動かさないでいると、筋肉や骨がさびついてきて、かえって動けなくなるというわけです。
ただ・・・
当時高校生の僕は、「適度に体を動かした方がいい」ことはわかりましたが・・・
その理論をどうやって「完治」に向けて組み込んでいけばいいのかは、わかりませんでした。
なので、あくまで、なんとなく実感していたという程度です。
腰痛治療が不得意なその整形外科に、通い続けた
さて、近所のその整形外科ですが、高校生の頃も一応、通い続けました。ただ、中学のときほど多く通っていたわけではありません。
僕は、柔道部に入って適度な運動をして、筋力を鍛えたことで腰の痛みが少し減っていたわけですが、整形外科の先生は、ご自分のご指導によるものだと思っていたようです。
正直、毎回、簡単な問診と腹筋・背筋の指導をして終わりですから、この整形外科は僕にとっては全く意味がありませんでした。
大学卒業後、「整体」に初めて行った
――僕は高校を卒業し、大学進学を期に上京しました。
その頃の僕の腰の痛みは、
- 中学のときよりは痛みは減っている
- とはいえ、何もしてなくてもズキズキする
- 前かがみをすると電気が走ったように痛くなる
そんな状況でした。
整体というものに初めて行ってみたのはその頃です。
――民間療法なんだけど、整形外科と違って直接、骨にアプローチしていく。
その治療方法は魅力的だと思いましたが、同時に、なんだか怪しく思えて今まで避けてきていました。
もともと、僕の実家は田舎なので整体がほとんどなく、情報が少なかったから行かなかった、というのもあります。
また、高校時代に家の近くの整体院ができたのですが、そこがたまたま評判が悪いところでした。なので、整体や民間療法には悪いイメージを持っていました。
でも、一人暮らしを機会に、思い切って整体に行ってみることにしました。
整体は、効果を実感できた。だが・・・
整体に行ったことは正解でした。効果を実感できたのです。僕は思いました。
「中学の時点で、整体に通っておけばよかった」
と。
たしかに、家の近くにはいい整体はありませんでしたが、遠くにいけば、いい整体もあったかもしれませんから。
この大学生当時、すでに腰痛になってからかなりの年月がたっています(発症は小学校5年です…)。完全に慢性化していました。
ただ、整体は、効果は実感できたものの、同時に「あくまで対処療法にすぎない」という感想も持ちました。
僕のような慢性腰痛には、さすがの整体の先生も完治まではさせることができなかったのです。
施術されたときは痛みがやわらぐのですが、数日するとまた痛みが増してきます。で、また通う。
そんなことの繰り返しでした。
実際、整体の先生にもこう言われました。
「もし、あなたが子供のころにうちに来ていたら、すぐに完治したはずです。発症してすぐに対処することが大事なんです。」
と。
整体の先生のこの言葉を聞いて、僕は慢性腰痛の治療の難しさを思い知りました。